ブログ読みました。

読み始めてなんか‥一瞬変な感じを覚えました。

『子供の頃、母親からひどい虐待を受けて生活をされてきた方で』

うーん‥私は未だに自分をそうだとは思っていなかったようなんです。

確かに 思い出す度‥

そして今でも そのことを話すのを躊躇するくらいのことをされてきたにもかかわらずです。

そんなことをされるに等しいことを私がしたとは今、全く思えないおぞましい仕打ち。

 

先生のブログを読みながら今になってそのことにあらためて驚いている自分がいました。

おかげでまた私の意識の一部が正常に?健全に?目を覚ましたかもしれません。

そして静かに思いました(自覚しました)

私はきっと心の底で母を許していない‥好きとか嫌い以前に。。。

 

今、母を見ていて感じる感覚はきっとそこから来ている。

子供の私は母を何度となく「許す」ことはしてきても(そうしないと生きられなかったから)

「許さない」「抗議する」「訴える」なんてことは一度もしてこなかったから

きっとおそろしく山のようにそれこそ積年の恨みが心の深い底で眠っているのかも。

今のところ私は大人を装って母にはまだぎりぎりのところで接していますが。

 

メールのタイトルに書いた『今になってまた思い出したこと』ですが

そう‥今までも何回か思い出す言葉ではあったのです。でも

今回のセラピー後にふっと思い出した時は今までとはちょっと違う感じがして。

私の中で出来たコントロールシステムは

この言葉が根源になっていた?呪いの言葉?だったのではないかと。

 

「愛とは最後まで見捨てないこと」母にそう言われたことです。

 

どんなシチュエーションだったかいつ頃だったかはっきり思い出せないですが

これが母の「愛の尺度」でした。

そして私は小学生の頃、母に「大きくなったらママを捨てて出ていくのよね」と言われ

大泣きで泣きじゃくりながら「そんなことないもん。ずっとママの傍にいるもん。」と

それこそ苦しいまでに必死で言っていたのをはっきりと覚えているんです。

 

その頃はまだ言わなきゃいけないとか言わされ感はなかったと思うのですが‥とここまで書いて

いや‥きっと私はあの頃から

母の子として自分の「努め」「役割」を理解していたように思い

今になってまたゾッとしました。

 

今回のセラピーでしっかり自分の意識に入った先生のフレーズ

『相手が弱っている困っている怒っている‥そんな時にそれを見捨てない』という私の中のコントロールシステム

先生!今書いていてびっくりです。

奇しくもここで既に先生から同じ言葉を言われていたんですね私‥

『愛とは最後まで見捨てないこと』

やっぱりセラピー直後に私が思い出していた直感は当たっていたのかもしれません。

 

セラピー後ですが

今一番つらかった飼い猫のこと

状況は良くならなくても私の意識が明晰になってきているのを感じます。

そしてそれと同時に猫に感じていた出口のない堂々巡りの「可哀想」視にも変化が。

 

『愛とは最後まで見捨てないこと』

この呪縛に今気づけて良かった。

次に来るかもしれない母の介護問題や母との向き合い方にもきっと

私らしく舵を切っていけるような‥(苦笑)

 

私は自分の中に聞こえてくるもう一つの声に耳を傾けていきます。

それこそ私が信じていい前に進む光だと。